諦観 読み方。 「諦念」の意味と使い方|「諦観」「達観」との違いまで解説

「諦観」はあきらめること?正しい意味と使い方とは?「達観」との違いも解説!

苦は12の原因のであって、12個集まってそれ全体が苦なのである。 「染みる」と「浸みる」と「沁みる」と「滲みる」の違い 「染みる」と「浸みる」と「沁みる」と「滲みる」の意味の違い 「染みる」と「浸みる」と「沁みる」と「滲みる」の違いを分かりやすく言うと、 染みるとは液体によって色がつくこと、浸みるとは液体がじわじわと深くしみこむこと、沁みるとは心身に刺激を感じること、滲みるとは浸みるの別表記を意味しているという違いです。 そのことからも、物事の全容を眺めて、本質を理解した上で諦めて悟るような境地のことを「諦観」と表現するようになったものです。 そのプロセスにおいて悩みから脱却し、解放されるためには、物事からの執着から脱却できること、すなわち 「諦める」という境地になることが、大切なのかもしれません。 ただしこの言葉は常用外なので普通は使われず、ひらがなで表記されることもありますが、「染みる」で代用されることも多くなっています。 さらに、仏教には、そうやって進歩・向上して生きていく目的は何か、 をも明らかにされています。 水によって色がついてしまうことを「染みる」、それによって出来た色のことを「染み」と言います。

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「諦念」の意味と使い方|「諦観」「達観」との違いまで解説

これが仏道すなわち仏陀の体得したへの道である。 どちらとも仏教で使われる用語で、 「悟りの境地で物事を見る」という共通した意味があります。 諦観の語源 諦観の「諦」という字は、あきらめる、望みを捨てる、断念する、明らかにするなどの意味を持つ漢字です。 沁みるの沁の字はさんずいに心という造りをしています。 さまざまな困難を乗り越え、ついに諦観の境地に至った• さらには「素材の味が染み込む」や「匂いが染み込む」などのように、液体だけではなく味や匂いなどに対しても「染みる」という言葉を使います。 「滲みる」の意味 「滲みる」とは 滲みるとは、 浸みるの別の表記を意味しています。

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「諦念」の意味と使い方|「諦観」「達観」との違いまで解説

現在、普通に使われている諦めるの意味とは正反対です。 - による訳. それに対して水分を抜いた後は色が残ってしまうかどうかが問題なので「染みが残らなくて良かった」や「結局染みちゃった」などと言われます。 彼はそれも運命だと諦観した He resigned himself to it as his fate. そのため「諦観」とは、「真理を観る、道理を観る」となり、「つまびらかにする」「明らかにする」が、本来の意味でした。 物を水につけて、水分を吸わせることが「浸す」です。 諦観には諦めの意味が含まれますが、達観にはそれがありません。

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「諦念」の意味と使い方|「諦観」「達観」との違いまで解説

なお、この他にも「凍みる」(読み方:しみる)という言葉もあります。 分かりやすい違いとしては、 「諦観」には「道理・真理をはっきりと見極めた上で諦める」の意味があるのに対して「達観」は「細かいことや目先のことに迷わされず道理・真理を見極める」といった意味があります。 諦念の境地に到達した修行僧は、我々の想像を超える修行を積んでいると言われる。 苦しみの真理。 参考文献 [ ]• なお、ニローダはせき止める、制止する、の意味。 悪い結果を、 忘れるのでもなければ ごまかすのでもなく、 根本的な原因を明らかに見て、 悪い種まきをやめて、 少しでもいい種まきをしようというのが 諦観なのです。 対する達観というのは、広く大きな見通しを持っていることや、将来の情勢を見通すことを意味しています。

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四諦

悟りを開き、超然とした態度をとること」を意味する言葉です。 「諦観」の意味を詳しく 「諦観」とは、「 物事の本質を見極めること。 滅諦(めったい) - 苦の原因の滅という真実。 また、衆生の一人一人が自己に内蔵する如来蔵(にょらいぞう)()を信ずる一念が苦を滅するということ。 ただし沁の字は常用外なので、常用漢字の染を使って代用されることがあります。

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【諦観】と【達観】の意味の違いと使い方の例文

もくじ• 仏教における「諦観」の意味は「真理をあきらかに見る」 「諦観」は仏教用語でもあり、真理(因果の道理)をあきらかに見るという意味があります。 体の意味の沁みるは痛みの感覚ですが、心の意味の沁みるは感動や感銘など、心地よさの感覚を表現しています。 」 「自分の願いが叶わないということは、何か深い意味があるのではないか? 動詞の「あきらめる」は「resign」です。 訳『ダンマパダ ブッダの<真理の言葉>』トランスビュー、2015年、改訂第1刷。 集諦(じったい):苦には煩悩や妄執などの原因があるという真理• 「諦観」の「諦」は、本来「あきらかにする」「まこと」という意味を持っています。 ビジネス系の記事などでは、たとえば「難民たちは諦観しているようだった」などと「あきらめの境地」という意味で主に使われています。

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